克明につづる兵士の心
 −−「12月8日」を知らない人も多くなった。
 この日は、終戦の詔勅が出され「8月15日」より重要な日です。終戦は、米国に原爆を落とされ、追い込まれて決めたところがあるが、開戦は、日本の軍部としての考えがあった上で決めた。なぜ無謀な戦争を始めたのかを開戦の日にこそ私たちは知らなくてはならないと思います。
 
 −−開戦は、知識人も国民も高揚した。
 当時の歌人たちが、この日につくった歌を調べたことがあります。この方でさえ、こんな歌を詠んでいるのかと興味深かった。例えば、斎藤茂吉が戦争を謳歌するような歌をつくったと、その責任を問う人がいるが、当時、だれがどのように反対できたのか。
茂吉の歌を戦争を肯定している歌だと見るのは短絡的すぎます。あの時代背景の中で、そうした思いがどう醸成されていったかを問題にすべきでしょうね。
 
 −−開戦の一番の原因は。
 さまざまな要因があるが、石油の問題が一番大きいでしょう。米国が石油の輸出枠を狭めていくことで日本は追いつめられていった。
ルーズベルト米大統領は『リメンバー・パールハーバー』で、米国内の厭戦気分を一気に変えた。自国民だけでなく諸外国に対する情報操作がとてもうまい。それに比べ、当時の日本の外務省に世界的な視点がなかった。戦術や戦略の失敗は今の日本の現状と重なるところがあります。

 −−日本人は「日記」が好きなのか。
 日本文学研究者のドナルド・キーンさんは、捕虜の取り調べなどにあたっていたが、以前、私に、日本人ほど日記に真摯に向かう国民はいない、そんな日本人の性格にとても興味を持ったと語っていました。日本兵は軍隊手帳に克明に本心をつづっている。日本軍が玉砕した島で、米軍は手帳を集め分析した。これによって日本側の戦意も食糧事情もすべて分かった。

−−戦争について、たくさんの著作がある。
「太平洋戦争は大和に始まり、大和に終わった」という伊藤正徳さん(ジャーナリスト)の言葉にショックを受けました。私は、昭和50年代に戦艦「大和」の150人余の生存者のうち、117人にまで会えました。下士官兵の物語として『男たちの大和』
(ハルキ文庫)を書いた。今度の映画も、戦争映画ではありません。映画関係者には、戦争反対だ、戦争は悪だという視点ではなく、戦いの中での人間の生き方を中心に愛と死の物語を描いてほしいとお願いした。戦争の凄まじさは、観客が映画を通して、感じ、考えてほしいと。

 −−あの戦争について、どう考えるべきか。
<櫻とはまた墓所 この国の見捨てし兵が挙手の礼をす>
 私の歌ですが、今も遺族たちとパプアニューギニアや南の島を訪れると、ジャングルに何万という兵士のシャレコウベが放置されています。その意味でも、兵士たちは見捨てられたのです。私は、これまで1600人の遺書を読んできて、戦後60年は、昭和を歴史として見つめ直す出発点にすべきだと思いました。
 歴史としてとらえた時、あの戦争とは何だったのかが見えてくる。今度の映画は政治家の方にこそ見てもらいたい。2世、3世議員の大半は、本当の戦争の歴史を知らない。太平洋戦争を通して学び、これからの日本の進路について考えるきっかけにしていただきたいと思います。(聞き手・伊藤哲朗)

辺見じゅんさん | ホーム 2006.02.12